日本の世界遺産「厳島神社」

アジアの世界遺産

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世界遺産 厳島神社

厳島神社とは?

厳島は宮城県の松島・京都府の天橋立と同じ日本三景の1つとして有名です。

平家の平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が建てられました。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されており、

そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納められています。

名称厳島神社
日本
登録区分世界文化遺産
登録年1996年

厳島神社が世界遺産に登録された理由

厳島神社が世界遺産に登録された主な理由は、その歴史的な重要性と美しい自然環境にあります。

厳島神社は、広島県廿日市市に位置し、鳥居が海に建てられる風景が特徴的な神社として知られています。この神社は、平安時代に建立され、その歴史的な背景とともに、日本の宗教・文化の発展において重要な役割を果たしたことが評価されました。また、神社の建築様式や造形美も世界的に高く評価され、伝統的な日本の神社建築の優れた例として登録されました。

厳島神社はまた、美しい自然環境に囲まれており、建築物と自然が調和した風景が訪れる人々に感動を与え、観光名所としても知られています。

世界遺産登録基準

(1)人類の創造的才能を表現する傑作。

(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

wikipediaより引用

歴史と文化の宝庫

厳島神社は、日本の広島県に位置し歴史と文化の宝庫として知られています。建立は6世紀と古く、神聖な島に鎮座するこの神社は、日本の歴史と宗教の一環を象徴しています。

厳島神社は、大社造と呼ばれる独自の建築様式で知られ、特に有名な「鳥居」は潮の干満により水中に浮かび、その美しさを感じることができます。

厳島神社の文化的価値は、国宝や重要文化財に指定された建造物や美術品を通じて見て取れ、その風景や歴史的な背景は、日本の伝統と信仰を感じさせます。

神聖な場所の象徴

厳島神社の神聖な場所の象徴として最も有名なのは、美しい「鳥居」です。

厳島神社の大鳥居(おおたいせき)は、水面に浮かぶ特徴的な姿勢で知られ、潮の満ち引きによって時折水中に姿を消します。この鳥居は、神社に訪れる者を神聖な境地へ導く門として重要な位置を占め、美しい景観とともに日本の風景の中で際立った存在となっています。

鳥居はまた、神聖な島である厳島の境域を示し、神と人の交わりの場を象徴しています。その荘厳で神秘的な姿は、多くの参拝者や観光客に感動と畏敬の念を抱かせます。

国宝 客神社

摂社である客神社は、本社と同様に本殿・幣殿・拝殿・祓殿から成り立っていますが、その規模は本社よりも小さくなっています。本殿は両流造で、桁行5間、梁間4間。拝殿は入母屋造で、桁行9間、梁間3間であり、これらの間を方1間、両下造の幣殿で連結しています。祓殿は入母屋造で、妻入りで、桁行4間、梁間3間となっています。

特筆すべき異なる点として、本社と異なり客神社には平舞台に相当する板敷の施設が存在せず、祓殿が直接海に面しています。廻廊も、本社では祓殿の側面に取り付いているのに対し、客神社では祓殿と拝殿の間を通っています。

また、客神社の本殿と拝殿は、本社とは異なり桁行柱間が奇数であり、中央の柱間を広く取り、左右対称形の通常の平面形式を採用しています。本殿の正面柱間の中備は、本社本殿とは異なり、5間とも蟇股としています。拝殿も内部の身舎部分の柱を一部省略して内部空間を広く取り、本社拝殿とは異なり前後に2つの化粧屋根裏を作る形ではなく、梁間2間分を1つの化粧屋根裏としています。

歴史 平清盛

平清盛

厳島神社と平清盛との関係は、歴史的な経緯や伝説、そして信仰の観点から複雑で深いものです。平清盛は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将であり、その事績と関与は多岐にわたります。

まず、厳島神社との最も重要な関わりの一つは、平清盛が嚴島神社(当時の表記)の社家としての地位を得たことです。清盛は治承・寿永の乱を経て、後白河法皇や源頼朝に仕え、自らも平家一門の長として武士政権を築いていきました。この中で、清盛は厳島神社の神職としての地位を得るとともに、神社の宮司に就任し、神職としての務めを果たしました。これにより、厳島神社と清盛は密接な結びつきを持つこととなりました。

一方で、伝説的な面でも平清盛と厳島神社は結びついています。有名な伝説の一つに、平清盛が嚴島神社の神託を受けて優れた戦功を挙げ、その後に社家の地位を得たとする話があります。この伝説は、清盛が神の加護を受け、その武運によって栄華を築いたという神話的な要素を含んでいます。

また、清盛が平家一門とともに都を追われ、鎌倉に鎮座する嚴島神社に祈願する場として、神社と清盛との関わりが深まったとも言われています。清盛は没後、京都から遠く離れた島で祀られることとなり、厳島神社の祭神として尊重されています。

このような清盛と厳島神社の関係は、歴史的事実と伝説の交錯によって形成されています。清盛の功績や神職としての役割が神社の歴史に刻まれ、その影響は現在にも受け継がれています。厳島神社は清盛にまつわる伝説や歴史的な事実から、日本の武士道や神道の一翼を担う重要な聖地となっています。

世界遺産 厳島神社の魅力

舞台と仕掛け舞楽

厳島神社の舞台と仕掛け舞楽は、神聖なる島々を彩り、宗教行事や祭典で神聖な儀式が執り行われる場所として知られています。舞台と仕掛け舞楽は、厳島神社の独自性と伝統的な神事を象徴しており、観光客や信仰者にとって魅力的な体験となっています。

まず、舞台は厳島神社の境内に位置し、美しい鳥居が海にそびえる風光明媚な環境の中にあります。この舞台は、悠久の歴史と共に神社の中心的な場所となっており、周囲に広がる自然と一体となった雰囲気が漂っています。舞台は神聖な儀式や舞楽が行われる場所として、良き神託の舞台として位置づけられています。

仕掛け舞楽は、舞台上で行われる伝統的な舞踏や芸能であり、神聖な儀式において神々への祈りや供物を捧げる一環として行われます。これらの舞楽は神聖なエネルギーを表現し、神々との交流を象徴しています。舞台には、伝統的な舞踏や太鼓、雅楽などが奏でられ、神聖な雰囲気が醸し出されます。特に、神聖な場所で行われるため、舞台や舞楽には神秘的で荘厳な雰囲気が漂い、参加者や観客に感動を与えます。

厳島神社の舞台と仕掛け舞楽は、年間を通じて様々な祭りや行事で使用され、これらの儀式が島の歴史や文化を伝承し、神聖なエネルギーを注ぎ込んでいます。舞台と仕掛け舞楽は、島の風光明媚な自然と調和し、訪れる者に神聖な感動を提供する一翼を担っています。これは、厳島神社が日本の宗教文化と芸能の一環として、国内外から多くの注目と賞賛を集めている理由でもあります。

五重塔

厳島神社にある五重塔は、その壮大で美しい姿勢と歴史的な背景から、日本の建築美と宗教文化の象徴として際立っています。この五重塔は、室町時代初期の寛正元年(1460年)に建立され、その創建から現在にかけて厳島神社の境内に佇んでいます。

まず、この五重塔の外観は、日本の伝統的な建築様式を見事に表現しています。各層が重なり合った姿勢は、五重塔ならではの荘厳な印象を与え、層層に広がる軒や飛梁、彫刻が細部にわたり見事に装飾されています。特に、日本建築の美意識が反映された屋根の線や彫刻は、職人の高い技術と芸術性を感じさせます。

また、この五重塔は厳島神社の信仰と結びついています。厳島神社は、宮島の島々を包み込む美しい海の中に立つ神聖な場所であり、五重塔もその神域の中心に位置します。塔の中には仏教の宗教的な意味合いも込められており、厳島神社とともに神道と仏教の融合を象徴しています。五重塔は、厳島神社における神聖な存在として、参拝者に精神的な感動を与える役割を果たしています。

歴史的な背景において、この五重塔は数々の自然災害や戦乱を経てもその姿を保ち、修復や再建を重ねながら今日に至ります。そのたびに、建築の継承と伝統を大切にしつつ、時代の変化にも適応してきた歴史を感じさせます。五重塔の存在は、厳島神社とともに日本の建築文化の価値を伝え、後世に継承していく重要な遺産であると言えるでしょう。

まとめ

海に浮かぶ朱色の鳥居

・特徴的な建築様式で、国宝に指定されている

・瀬戸内海を望む自然豊かな場所にあり、美しい景観が見える